何の話(笑)

「廃案だ!それは認めるわけにはいかない!」
「もう決まったことだ。」
「独裁には断固反対する!」
・・・・
ははは。ご家庭内の話です。
ダンナさんが、私の誕生日の前祝にスイーツを買ってきてくれたんですが、夕食後に食べようとしたら、ヤツは眠そうにしてたんですよね。なので、「寝てていいよ。私が二人分食べておくから♪」と言ったら、「ダメ!俺が寝てる間は、おやつは一切禁止。makoに食べる権利はない!」と言いやがるので、冒頭の会話になったというわけです。アホですね(笑)。
その後、もちろん二人で美味しくいただきましたよ。ヤツは「・・・そっちの方がクリーム多い」とかブツクサごねてましたが。おまえは3歳児か?てか、私のために買ってきてくれたんだよね??やっぱり自分が食べたかったのか(笑)。
それでも、「誕生日だから」とスイーツを渡してくれたとき、ほんのちょっとシャイな感じの顔をしたように見えたんですが・・・気のせいかな?ははは。また買ってきてくれるかな。当日に。くれると良いな。
なお、妹さんには、「私の誕生日のために北の軍事パレードに負けないようなイベントを企画してくれているんだよね?」とメールを出したんですが、さりげにスルーされました。おねえちゃん、かまってもらえなくて、ちょっとさみしい。

それにしても、大臣がきちんと答弁できなかったり、「学芸員はガン」発言の大臣がいたり、不倫だったり、アホの見本市ですか?って感じですね。国は「道徳」を教科化しましたけど、ああいう大人たちの姿を見せて、「こんなふうになったらアカンよ」の一言で済むんじゃなかろうか。素晴らしい反面教師たちです。気のゆるみと言ってますが、あれが本性なんでしょうね。資質の問題です。最初の頃は本気でムカついていたんですが、友人たちとメールして毒を吐いたら、バカをバカと言うのも、なんだかバカらしくなってきちゃいました。と言っても、どうでもいいと思っているわけではありませんが。

ところで、このところ毎日、「ひよっこ」に泣かされています。
もうね、大人の汚れきった心が洗い流されて浄化されていく感じ。いいぞぉ。みね子(ヒロイン)のモノローグとか、セリフも何もなく、ただ表情を追っているカメラワークとか、じんわり沁みてきます。
奥茨城村の村をあげての聖火リレー大会も良かったなあ。これが他のドラマだったら、何が何でもオリンピック盛り上げたいんだろうと冷ややかに見ていたと思いますが、村が好きなのに出ていかなければならない運命(農家の三男坊)、村に残らなければならない運命(農家の長男)、それぞれの想いというものが背景にあって、それが立場を超えて一つになるところが良かった。現実を見ろ、お前たちは甘い、と言いながら、現実の大人の仕事を「ひよっこ」たちに見せつける村の青年団もかっこよかった。
思い通りにならない人生をそれぞれ引き受けて、なんとかかんとか頑張っている彼らを応援したくなってしまう。
「東京と田舎」というものも、自分の頃と時代は違うんだけど、わかるなあ、と感じてしまいます。ここらへんは、いろんな気持ちが混ざり合って、なかなか上手く言えないんですけどね。でも、自分が上京したての頃を思い出して、ちょっぴり胸が疼くのです。
今後の展開が楽しみ♡


今日は帰りに、高村先生の新刊「作家的覚書」 (岩波新書) 買うんだ~。
『ものを言うこと それもまた行動である』
と、オビにあります。
ならば、読む側としては、「きく(読む)こと それもまた行動である」と言いたい。言えるような読み方をしたい。


(追記)
今朝(4/22)の「ひよっこ」、お父さんがいなくなってしまったことを知った次女が、(いろいろあって)押し入れの中に立てこもってしまったんですが、思わず、「私もやったー!」って言っちゃった(笑)。
ごせやけて、自分から押し入れの中に入ってたら、「makoがいなくなったー!」って、親たちが大騒ぎしてたな。ははは。そんなこともありました。母ちゃん、ごめん。でも、懐かしい~。ダンナさんに、「やったよね?」って聞いたら、「押し入れの中が埋まっていたから、やらなかった」とのこと。ふ~ん(ちょっと不満)。
ちなみに、「ごせやける」も通じなかった。「腹立つ」って意味です。「それ、日本語?」って言われたけど、立派な日本の方言だぞー!バカにするな~。押し入れに立てこもっちゃおうかな(笑)。




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花びらほろほろ

舗道に散る桜の花びらの白い点々を見ると、なんだか名残惜しい気分になるのですが、でも、気が付けばケヤキもイチョウも若い葉が顔を出していて、やわらかい緑色が気持ちを和ませてくれます。
植物は、素直だなあと思う。
季節が移ろうままに、雨や風に抗わず、花を咲かせる時を知り、散る時を知り、葉をつけ、果実を実らせ、やがて朽ちていく。
いつまでも、花を咲かせたままでいたいと願うのは人間だけか。
そんなことを想いながら見上げる樹々は凛として、この潔さがうらやましいと思う。

「ひよっこ」、なんだかんだで見ちゃってます。
時代は私の生まれる前ですけど、なんだか懐かしい(笑)。父の実家も母の実家も農業をしてましたから、あの空気というか、自然の中に流れる時間というか、そういうものが。
私の時代も、まだ東京は遠かったな。
東京で働くおばさんが、お土産に風月堂のゴーフレットを買ってきてくれたのを覚えている。都会の味だと思った(笑)。
父ちゃんが東京に行った時のお土産は、なぜか決まって甘栗。自分が好きだったんでしょうね。甘栗を食べることも、その皮をむくことも。父は、落花生もそうですが、殻を割っては中身を並べて、「さあ食え」という人なんです。そういうところ、私も似てしまったようで、同じことをしてしまいます。でもまあ、よくしたもので、ダンナさんは自分の手を汚すのを嫌がる人。いつも甘栗とか蜜柑とか皮を剥くのは私の係です。・・・でもさ、口に運ぶくらいは自分でやろうよ、口を開けて待ってないでさ(笑)。
ひよっこヒロインの母親役の木村佳乃さん、いいですねえ。
警察に夫の捜索願を出しに行ったときのこと。出稼ぎ労働者の失踪者を十把一絡げにして、「戻ってこないと思ったほうがいいよ」などと心無いことを言う担当者に、「出稼ぎ労働者を一人探してくれと頼んでいるんではありません。ちゃんと名前があります。茨城の奥茨城村で生まれて育った谷田部実という人間を探してくださいとお願いしてます。ちゃんと、ちゃんと名前があります。」
あのシーンは、ぐっときました。
ついでに言うと、「『いばらぎ』じゃなくて、『いばらき』です」のセリフに、茨城県民が喜んでいるそうで・・・(笑)。水戸出身の祐介も、うんうん頷いていそう。学生時代に、雄一郎に対して絶対に一度くらいは言ってるよね。ははは。


それにしても、なんだか急にキナ臭くなってきましたね。
核を持たなければやられてしまうと思っている北と、持たせたくない米国と、互いに威嚇しあっている。この負のスパイラルはどこで破裂するんだろう?ミサイルを撃ち込まれるのも怖いけど、それは向こうも同じはず。交渉のテーブルにつくこともなく、海を挟んで怒鳴りあってるばかり。そりゃあ、過激な言葉が一番相手に届くわな。くだらねえチキンレースだと思う。我が国の首相も、「あいつら、やっつけに行こうぜ!」ってトモダチに誘われたら、喜び勇んでついていきそうな勢いです。こういう時に、みんないっぺん頭冷やそうよ、って国家の暴走を食い止めるのが憲法だと思っているのですが、もしかしたら、私は少数派なのかな。
憲法9条を後生大事に唱えていれば平和が保たれると思ってたら大間違いだ、と主張している某有名作家が、「もし北朝鮮のミサイルで私の家族が死に、私が生き残れば、私はテロ組織を作って、日本国内の敵を潰していく。」とツイッターでつぶやいていたそうです。やる気満々ですね。鼻息荒く、やられる前にやっちまえと、ファイティングポーズをとっている様子が伝わってくる。そういう人は多いんだろうか?
彼の主張に対しては、そりゃそうだろうな、と思う。アメリカやロシアのミサイルも、そうやってテロリストや対立を生み出してきたんだろう。彼の口ぶりは、自分に正義があると言わんばかりですが、あの国もこの国もテロリストたちも、みんな同じように思っているはず。結局はより大きな戦力を持ってる国が「正義」なのでしょう。はあ・・・(ため息)。


今日は、今は暖かいけれど寒気が入ってきて、雷を伴って雨が降るらしいです。
日本海の方だけなのかな?関東はどうだろう?
さて、今のうちに、買い出しに行こうかな。




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読書

浅田真央選手、引退を表明しましたね。
ジャンプも素晴らしかったけど、あの情感あふれる演技が好きだった。ソチ五輪フリーの、やりきった後の表情は忘れられない。
ジャンプも、休養とその後の復帰も、全部ひっくるめて、素晴らしいチャレンジャーだったと思います。
昨日の日経新聞のコラムには、国宝の木造菩薩半跏像の面立ちが、浅田真央さんを思わせる、と書かれていました。
「真央さんは菩薩のような人かもしれない。菩薩は悟りを目指す人、の意味だ。でもその修業は閉じた世界で完結しない。人々とともに歩み、高みに導く存在だ。」
彼女と同世代のスケーター達にとっても、今活躍する若いスケーター達にとっても、まさしくそういう存在だったでしょうね。
本当にお疲れさまでした。


それにしても、体力というものは歳とともに低下する一方で、なんとも情けないものです。
ははは。世界的なアスリートの話の後でたいへん恐縮ですが、でも、私が言いたいのは、読書体力のことです。
若いときは、物語世界に入り込んでしまうと、集中力が途切れることなく最後まで一気読みしてました。ちょっとでも面白そうだと思ったら、遠慮なしにガツガツと貪り食らっていたんですよね。
・・・と、過去形で語ってます。
歳とともに食欲が落ちてきたように、今は何でもガンガン食べられるわけではありません。
目が疲れやすくなったことも大きいですが、集中していられる時間も減りました。(仕事もそうです。)
いかんな、と思います。
身体を動かさないと筋肉が衰えてしまうように、本を読まないと、読書に使う筋力も衰えてしまうのではないか。
それと同時に、面白いと感じる気持ちや、何かを受け取る力も減っていくのではないか。
不安に駆られて、ふっと思うのは、茨木のり子さんの「自分の感受性くらい」という詩です。

「ぱさぱさに乾いてゆく心を
 ひとのせいには するな
 みずから水やりを怠っておいて」

「自分の感受性くらい
 自分で守れ
 ばかものよ」

はい、その通りです、と、背筋を伸ばし、自分を鼓舞する。
持てる力を総動員して、なんとか食らいつけ、と自分に言い聞かせる。
(茨木のり子さんは)自分に向けて書いているそうですが、いやいや、背中を押してくれるたいへんありがたい言葉です。
もちろん、感受性を守る唯一の方法が読書というわけではありません。
でも、私にとって、その比重は大きい。
言葉の中に、どれだけ深く潜っていくことが出来るか、自分の神経とつなげることが出来るか、それは、作者の意図を読むとか共感するとか、そういうことじゃなく、自分の中に何を構築出来るか、ということです。
言葉は魂の容れ物、心を運ぶもの。その器から注がれる美酒を心ゆくまで味わいたい。

何を言いたいかって?
もちろん、本を読もう、ということです。
いつか読もうと先延ばしにしても、「いつか」なんて来やしないよ?そして、どんどんハードルは高くなる。体力、集中力、好奇心は、若い時のようなわけにはいかない。生活に時間を取られるという外部要因も増えてくる。
だから、ここまで読んでくれてナンだけど、そこの君、すぐさまネットは閉じて、本を開こう。



(拍手コメントのお返事を)

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Black Rider

「ブラックライダー」「罪の終わり」東山彰良
どっぷりハマって、幸せな時間を過ごさせてもらいました。好き嫌いは分かれそうなので(たぶん)、人には勧めませんが、いや~面白かった。
6.16、破滅した世界。小惑星衝突、核爆弾、地殻変動、諸々の理由で人類のほとんどが死に、文明も失われ、人は飢えをしのぐために人を食らう。
「ブラックライダー」は、6.16から二世代あと、食糧事情もとりあえず解決され、人肉食を禁じるヘイレン法が施行され、人々の価値観は過渡期にある。はじめは、マッドマックス+西部劇+ゾンビのイメージで読んでいたのですが、人に寄生し死に至らしめる蟲、救世主のようなジョアン・メロヂーヤが登場するに至って、物語は神話的な様相も見せ始めます。もう、一言では説明できないというか、したくないというか、「読んで」としか言えない物語ですが、架空の世界でありながら、突きつけられているものはリアルで、胸にズキズキと刺さってきます。
「罪の終わり」は、6.16を挟んで、ナサニエル・ヘイレンを中心に、人々が人肉食を正当化するに至った経緯(あるいは人々が神を必要としていく過程。罪と赦し。)が描かれています。
二作とも、人肉食といっても、おどろおどろしい描写があるわけではなく、どこか観念的で、例えば、飢えを満たすために殺して食べるのと、食べもしないのにただ殺す行為は、どちらは罪か?赦しとは何か?そういったことを絶えず問いかけてくるわけです。愛情と憎悪、殺戮と救済、知性と荒野、奪うもの奪われるもの、まるで神と悪魔は同じ顔をしているのだと言わんばかりに、一つの事象が様々な意味を持っていく。
けれど思考だけでなく、同時に気持ちを大きく揺さぶられる作品でもあり、特に「罪の終わり」は、電車の中で読んだのを後悔しました。ちょーヤバかった。誰も見てないのに、「私、花粉症だから!」という演技をしてしまいました。東山さん、あれは、ずりぃよ、泣くだろ(笑)。

弱いものは文字通り食い物にされ、強くなければ生きていけない物語の世界。
それでも登場人物たちは、自分の行動に意味を求め、愛を求め、言葉を求め、存在意義を求める。神を、赦しを、生きていた証を、求める。生きているのが奇跡のような絶望に満ちた世界にあって尚、思考することを諦めない。
現実世界では、アメリカがいきなりシリアにミサイルをぶっこみ、世界の秩序がさらに混迷を深めています。(確かにアサド政権によるサリン使用は許せないと思ったけど、いきなりアレか・・・!)武力の行使はいつだって破壊と亀裂をもたらし、どこかに禍根を残す。そうならないようにするための「政治」であって、あれじゃマフィアと変わらない。これが人間の限界なのかと思い、世界は滅びてしまうのかもしれないと夢想し、現実と物語を行ったり来たりしてたのですが、なぜか、より絶望的なはずの物語世界の方に希望を感じてしまいました。希望というやつは、本当に救いのない場所でこそ生まれるものかもしれないな。宗教が荒野で生まれたように。

ところで、「ブラックライダー」のラスト。主要人物のひとりロミオ・レインは、恋人のルピータを想いながらも結局は彼女の元へ戻りませんでした。(死んでしまったのかもしれないけど。) そこが、もやもやっとしていたのですが、「罪の終わり」で自分なりの答えを見つけて腑に落ちた気がしました。本筋に関係ない女性のセリフなんですが、
「女は心に従う生き物で、男は魂に従う生き物なのさ。」「男は惚れた女にゃ心を捧げな、そんで女は惚れた男の魂をぜったいに縛っちゃだめだよ。あたしはあんたらのパパの魂をありのまま受け入れた。なぜって、パパがあたしに心を捧げてくれたからさ。そうやって男と女はひとつになるんだ。あたしの娘の失敗はね、心を捧げてくれない男の魂を縛りつけようとしたことさ」
ロミオは、魂に従ったのだな。そんなふうに思いました。
エピローグは約50年後、年老いたルピータのもとにロミオが彼女のために買った髪留めが届きます。そのころには、血なまぐさい時代は既に過去のこととなり、人は穏やかな生活を営んでいる。この(いつか訪れる)平和のためにこそロミオは生きたのだと思いたい。
ついでに言うと、某所にて(笑)夫婦というものについて考える機会がありまして、上記のセリフを読んで、男と女はそういうものかもしれない、と、個人的にもしっくりきました。なるほどなあ。


今日は雨かぁ。図書館に本を返しに行かなきゃならないんだよなあ。う~ん。でも、これは破っちゃいけない約束事だからなあ。頑張って行くか・・・。


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再びチョコレートドーナツ

今日の昼休みに、ヤフーで(ツイッターの)話題のキーワードを見たら、「チョコレートドーナツ」が一位。話題のスイーツか?と思ったら、映画でした。なぜに今頃?と思ったら、こういうことだったんですね。
「虐待などにより親元で育てられない子供の養育里親について、大阪市が男性カップルを認定したことが5日、市への取材で分かった。厚生労働省は同性カップルの里親認定について「聞いたことがない」としており、全国初とみられる。」
すごいな、大阪市!
学習指導要領の「異性への関心」という文言も、性的少数者への配慮から異論があったようですが、文科省はしっかり残してますからね、国は認めたがらないんだろうなぁと思っていたところなので、ブラボー!って思いました。
映画は、男性カップルがダウン症の子供を育てようとするのですが、引き裂かれ、無責任な実の親のせいで悲劇に終わります。公開当時観に行って、映画にぶっとばされて帰ってきました。衝動的にこのブログにも書いてしまったくらいです。(クリック
社会の、無理解、差別、偏見が、美しく優しく愛しいものを殺していく。
静かな怒りの物語です。
けれど、それ以上に気高くて美しい人間の愛情の物語です。

母性は、子を産んだ母だけのものなのでしょうか?私は、神格化したり美化したり、聖域のように扱うものではないんじゃないかと思います。
お母さん方に怒られてしまうかも知れませんが、そのことが母親を追いつめている面もあるでしょうし、「母だけのもの」から広く解放してあげた方が、もっとお互い楽に助け合えるのではないかという気がします。(この場合、変わるべきは母親よりも社会の方だと思ってますが。)

どうか、大阪の彼ら『親子』が、幸せに生きられますように。


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プロフィール

mako

Author:mako
makoと申します。
好きな小説と音楽と日常をあれこれ綴っております。
高村薫先生の合田シリーズについては、腐女子的視点で考察その他を書いてますので、一部PW制にしています。
なお、原作者様、関係者様とは、一切関係はありません。

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