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THE BORDER

笑おう
われらはすでに知っている
笑いとは自由の最初のしるしなのだ
わたしは自分の娘。自分の夢から生まれた。夢がわたしを生かしてくれる
死こそがわれらの生きた証しとなる

ドン・ウィンズロウの「ザ・ボーダー」。
長い長い物語が、やっと完結した。
6年かけて書かれた「犬の力」、その10年後に発表された「ザ・カルテル」、更に3年後、今回の「ザ・ボーダー」。試しに文庫本を全部重ねて測ってみたら15センチだった。でも、長いだけじゃない。中身の濃さといったら厚み以上だ。
麻薬取締官のアート・ケラーとシナロア・カルテルの首領アダン・バレーラの戦いを軸に、数えきれないほどの人たちの人生が交錯する。そして、その多くが死んでいった。カルテルの犯罪者たちも、それを追う者たちも、ジャーナリストも、罪のない一般市民も。心優しいあの人も、勇敢で正義感あふれるあの人も、無残に人生を断ち切られた。どこでどんな人生を送っていても、否応なしに巻き込まれ、情け容赦ない運命にさらされる。まさしく戦争。血沸き肉躍る爽快感はなく、愛すべき登場人物が死んでいくたび、心が抉られていくような気がした。冒頭の詩は、ジャーナリストのアナが殺害される場面の前後に引用されたカステリャノスの詩だけど、それぞれの人生が確かな重みをもって描かれているから、悲しみの深いところまで届いて、その死が(生が)いつまでも胸の奥に残る。
そして、「ザ・カルテル」の最後には、アダン・バレーラも死ぬ。アート・ケラーの手によって。
「ザ・ボーダー」は、その直後から始まります。
麻薬王亡き後、やがて、熾烈な後継者争いが始まり、麻薬取締局局長に就任したアート・ケラーは、またしても「彼ら」との戦いに身を投じる。そして、アダン・バレーラが遺した組織やシステムと対峙するたび、ケラーは何度もこう思う。「アダン・バレーラは生きている」。
・・・ああ、この執着と絶望。
かつて、親友同士でもあった彼ら(「犬の力」参照)。けれど、戦いの中で深まっていった憎悪がケラーをがんじがらめにする。まるで狂った愛情のように。
ケラーは、さて、これらのものから解放されるのか?どう決着を付けるのか?
まあ、これはネタバレになるから書かないけれど、絶対に無駄な時間だったとは言わせないから、ぜひとも「犬の力」から読んでください。無理に読もうとしなくても大丈夫。ページを開いたら、嫌でも読まされてしまうから。それだけの筆力のある素晴らしい小説だから。

この長い物語は、アート・ケラーの個人史であると同時に、アメリカの現在をあぶり出す試みでもある。
なにせ、「ザ・ボーダー」には、明らかにトランプがモデルのジョン・デニソンという大統領が出てくるんだから。(解説で杉江松恋さんが指摘しているように、トランプへの怒りがこの小説を書かせたんじゃないかと思うほどだ。)
今回の本丸はデニソンの娘婿のラーナーで、後半は必然的に大統領側とアート・ケラーの戦いになってくる。決戦の場は戦場でなく公聴会だけど、死者こそいないものの、やってることは同じ。ひりひりする。
「ザ・ボーダー」が前2作と異なるのは、ケラーがアメリカ国内に目を向けたこと。麻薬を売る者だけ叩いても、買う者がいる限り戦いは終わらない。アメリカ側のシステムを叩くと同時に、麻薬とはいったい何なんだ?という根本的な問いに立ち返る。
麻薬戦争のために莫大な資金が投入され、麻薬戦争が続くゆえの経済が成立している。警察の軍隊化、民営刑務所、それに携わるあらゆる人々、そしてもちろん、ドラッグマネー・・・もはや、麻薬と戦うのではなく、麻薬との戦争に依存している状態だ。けれど、麻薬の過剰摂取による死者は、いまや交通事故や銃による暴力よりも多い。
「麻薬は「痛み」に対する永劫不変の答えだ、痛みを減らし、鈍らせるために人は麻薬を求めずにはいられない。だったら、われわれをそんな状態に追い込むアメリカ社会の核心にある痛みとは何なのか。
貧困でしょうか?不当な仕打ちでしょうか?孤独でしょうか?
私にはその答えはわかりません。それでも、です。われわれは現実的な問いかけをしなければなりません    
いったいどうしてこんなことになったのかと」
公聴会でそう語るケラーの切実な想いは、同時にドン・ウィンズロウ自身の声なのだろう。
ちなみにウィンズロウは、麻薬の合法化を提唱している。とんでもない主張だと思われるかもしれないけど、この長い物語を読んだ後では、一理ある、と頷ける。
もしかしたら、そう思わせるように物語を構成したのではないかと思う人もいるかもしれない。
けれど、麻薬に対して、麻薬から利益を得る者達に対して、暴力に対して、権力の腐敗に対して、ひとりの人間として抱く純粋な怒りのオーラが凄まじいほどに小説全編を覆っていて、そういう小賢しさなど吹き飛ばしてしまう。なにより、小説の冒頭に記された麻薬戦争の実際の犠牲者たちの氏名を見るにつけ、この小説は彼らのために書いたのだと感じる。拷問の果てに殺害された部下のヒダルゴのことが、アート・ケラーの中から消えなかったように、死者の存在が、ドン・ウィンズロウから消えることはなかったのだろう。
私は、以前ブログで「ザ・カルテル」について書いたとき、あまりの死者(それも惨たらしい)の数に、自分の感覚を麻痺させなければ読み進めることが出来なかったと書いたけど、書く側にそれは許されない。覚醒していなければ書けない。この物語は、実際の事件や人物を下敷きにして麻薬戦争を描いていて、リアルな重さがある。でも、その「リアル」は事実に沿っているからということではなく、本質を描いているからこその「リアル」だ。そして、それは隅々まで行き届いているのだけれど、それらを描くために、どれほどの取材をし、資料を読み込んでいるんだろう?目を背けたくなるものも多々あったろう。その労力と胆力を思うと、感嘆のため息しか出てこない。
閑話休題。
話を戻すと、ケラーの問いかけに対する明確な答えは、小説の中にはありません。
きっと、各々が考えよ、ということなんだろう。
誰かが与えたり与えられるものじゃなく、自分で見つけろ、ということだと思う。
そうでなくては、書いた甲斐も読んだ甲斐もない。いつまでも傍観者でいるな、そういうことだと思う。
混沌とした現実は、そのまま続いていく。
でも、悪いことばかりじゃない。
そう思わせてくれる人たちがいて、出来事があって、読後感は、良い。
解説の杉江松恋さんが書いているとおりだ。
「最後に到達するであろう場所には澄みきった光が射している。犯罪という行為を通して人間を、社会を知る。その悦びをあなたに。」



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風邪が治んない

今年の暑さはきつい。
湿気もイヤ。
なんだか濁った水槽で泳ぐ金魚の気分。息苦しくて、逃げ場がない。
弱い順番に死んでゆくのなら そろそろ次あたり俺の番だろう そうだろう~♪って、あれ、ニューエストモデル(現ソウル・フラワー・ユニオン)の何ていう歌だったかな?なんかもう、マジで、これ以上暑い日が続いたら体がもたない気がしてきた。
風邪もいまひとつスッキリしなくて、胃もなあ・・・。お腹はすくんだけど、胃が「働きたくない」って言ってる。働き方改革だ、休ませろ!いやいや、あんたが働いてくれないと食いものが消化しないのよ、そこを何とか・・・みたいな感じ。胃が重たい。ああ、早く秋にならないかなあ。
来年のオリンピック、冗談抜きで死者がでなきゃいいと思う。
お台場海浜公園の水質も心配。高い水温に悪臭、大腸菌。そんなところで競技しなければならないアスリートがかわいそう。水質の数字なんていくらでも改竄しちゃいそうだもんね。(改竄や隠微は今や日本の十八番だ。)
これが他国なら叩いたり嘲笑ったりするんだろうけど(過去にそういうの見てきた)、ワイドショーや報道番組ではどんなふうに扱っているのかな?(見てないから知らんけど。)

さて、いだてん。
ロサンゼルスオリンピック。水泳であんなにメダル取ってたんだね、すげ~!
でもね、勝っちゃん(斎藤工)がスゴイと私は思うの。辛かったと思うよ。かつてのエースだっただけに、なおさら。後輩たちはどんどん自分を追い抜いていく。下り坂の自分がどんなにみじめだったか。
それでも、ノンプレイングキャプテンとしての役割を全うして、勝った選手には我が事のように喜びながら抱擁し、期待されながらも胃腸炎で金が取れなかった(銅)大横田がラジオ番組中に泣き崩れた時は「もういい!」と抱きかかえ・・・勝っちゃん、ものすごく良い奴だ。(特に鶴田。鶴田が勝利した時、プールに飛び込んで鶴田と抱き合った勝っちゃんの姿を見て、私の中の何かがキュン♡とはじけた。)クドカンも勝っちゃんが好きみたいで、ラジオでは何度も斎藤工に抱かれたいと発言されていたんだとか(笑)。ははは。
そして、彼らの活躍は、アメリカの日本人たちを勇気づけることになる。
当時のカリフォルニアでの排日運動について、船戸与一のルポにあったなあと思って、久々に「叛アメリカ史」を開いて拾い読みしてみた。日本人が嫌われたのは、低賃金で働くことで現地の人たちの仕事を奪ったからという理由だけじゃなく、ハースト系の新聞社が第一次世界大戦前から猛烈な反日キャンペーンを行っていたという背景もあった。人種差別者による程度の低い扇動記事だけど、部数は伸びて、ハースト家をカリフォルニア州屈指の財閥にまで押し上げた。
(そういえば、「満州国演義」の中にも、新聞社が戦争時に大本営発表を飾り立て誇張した記事で部数を伸ばし、今に至る大きな新聞社へと発展させた旨のことが書かれていたなあ・・・。)
そんな環境の中での水泳の勝利が、アメリカの日本人たちのアイデンティティに火をつける。「I am JapaneseAmerican!」と高らかに叫ぶ彼らの胸に灯った希望や誇りを思うと、こちらまで熱くなってくる。
でも、私たちは知っている。太平洋戦争が始まると、彼らは財産を没収されて収容所に入れられたことを。(山崎豊子の「二つの祖国」等を読んで。)
それから、日本国内では「愛国心」が戦争を後押ししたことも。
それらを思って、ああ、と、言葉にならない想いがよぎっていく。
ドラマは、水泳で日本勢が金や銀を占めたことを「日本が征服しました」と表現させたり、「リットン調査団」「国際連盟」等、ざわっとするワードをさりげなくぶち込んでくる。まあちゃんが「帰りたくねぇなあ」って言ってたけど、ホントだよ。これからどんどん暗い時代になっていくんだなあ・・・。
それにしても、日系移民の苦労を思う時、今の日本で働く外国人たちのことも考えてしまう。
低賃金だったり、長時間労働だったり、劣悪な環境で彼らを働かせ、中には、最初から彼らを食いものにしようとしていた奴らもいる。夢を抱いて日本にやってきて、憎悪と共に帰国する・・・そんな外国人をこれ以上増やしたくないなあ。この国はもはや外国人の労働力なしには成り立たない。いつまでも「日本人エライ」って言ってないで、うまく共存することを考えないと、本当に世界から取り残されてしまう。


それにしても国会議員ってのは、何なんだろうな。特権階級?お金がたくさんもらえる、失言や疑惑があっても「病気だもん」って雲隠れしちゃえば、しれっと復活してお咎めなし。良いご身分だ。
もともと、そんな人たちばっかりだとは思ってたけど、でも、〇〇〇をぶっ潰す!というフレーズだけで当選してしまったあの人を見ると、さすがに、ちょっと待ってくれ、って言いたくなる。マツコに噛みついて放送局にまで押しかけるって、あれは言論弾圧でしょ?若手芸人がパフォーマンスしてるんじゃなくて、あの人、国会議員なんだよ?
ああいう人を同じ土俵にあげると世間に認知させることになってしまうから、マツコが無視したのは正しい選択だと思うんだけど、この騒動で、ユーチューバーでもあるあの人のチャンネル登録数は増えて、収入が3倍増の月1000万になったんだそうだ。東スポの記事だけど、マジか。選挙ってのは、一部の人間にとって、ユーチューバーの人気投票みたいなものだったのかもな。
本当は、○○○をぶっ潰したいなら、潰すことのメリットとデメリットを提示すべきなんだ。でも、論理や客観性はどこにもない。単純なフレーズと勢いだけ。でも、これは彼が初めてじゃない。小泉がそうだったと思う。
なんだかもう、あの人たちを見ていると疲労感ばかり感じてしまうよ。
「単純なフレーズ」ということについては、内田樹さんが「ネット右翼とは何か」の書評の中で次のように書いていて、なるほど、と思った。
『私は語り口が定型的であることは書き手の知性の否定的指標だと思い込んでいたが、話は逆らしい。この定型性は意図的に構築されているのである。
 定型的な言葉づかいを繰り返しネット上にまき散らすことは「特定のトピックを際立たせるための効果的な戦略」であり、botを利用すれば、特定の政治的争点について、イデオロギー的には親和的だが、それまで組織的には無縁だった人たちを結びつけて、彼らを巨大な「世論選好のクラスター」にまとめあげることができる。
 安倍政権の政治的成功はこの「クラスター形成」にあるという指摘には強く胸を衝かれた。
 たしかに、自らアジテーションの現場に立つと、定型的な言葉づかいを繰り返すほど聴衆は「盛り上がる」ということは実感としてはよく分かる。ふだん私が教壇で話しているようなややこしい話を演説会場でしても、さっぱり受けない。それは、私が聴き手に自分のそれまでのものの考え方を「棚上げ」して、しばらくの間「中腰」に耐えてもらうことを求めるからである。
 しばらくの判断中止に耐えうることは知性的であるための重要な条件だと私は思うけれど、それはいまの日本の状況では政治的成功を断念することにほとんど等しいのである。
 ということを改めて思い知らされた。』
これは、先日、髙村先生がラジオでお話しされていたことにも通じると思う。
青木氏じゃないけど、やっぱり「砂漠の中で・・・」と言いたくなってしまう。いや、きっと自分と同じ気持ちの人はいるはずだ、と、連帯なき連帯を信じて踏みとどまるしかないんだろうけれど。
私たちの社会は、いったい何処へ流れていくんだろうね?


しかし、暑い。
・・・生きていたら、秋に会いましょう。
(だめだ、がんばれ自分!ボストン・テランの新作を読むまでは死んじゃだめだ!いだてんも最後まで見届けるんだろう?そして、おっさんずラブの映画は!!はるたんの笑顔が待ってるぞ!)



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ある夏の日

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さんれんきゅ~

三連休ですね。
皆さま、いかがお過ごしでしょうか?
私は今、ニューヨークにいます。
囮捜査官として敵の懐に潜り込んだところで、心休まる日がありません。
・・・
うん(笑)。
ちょうど、ドン・ウィンズロウの「ザ・ボーダー」、下巻に入ったところ。
「おれはあんたをネズミだと思っている」
やばい。
でも、盗聴器を付けていたら駆けつけるはずの警察は来なかった。
合格。(つまり、さっきのセリフはブラフ。)
囮続行。
ああ、心臓に悪い(笑)。
もう、どっぷり浸かって、時間さえあれば読んでいます。
ものすごくハードな物語なのに、ぐいぐい読ませる。「犬の力」「ザ・カルテル」に続く三部作完結編なんだけど、これからどうなるんだろう?
心配なのは、「犬の力」に出てきたカランとノーラが再登場しちゃったこと。すっごく好きな二人だから、死んでほしくないのよ。普通、シリーズ物で好きな登場人物が現れたら喜ぶでしょ?でも、この話はみんな生きるか死ぬかってところにいて、しかも容赦がないから怖い。お願い、ドン・ウィンズロウ様!あの二人を殺さないで!ああ、ドキドキする。(でも、やめられない。)


さて、この三連休、私はウチで休養です。
風邪で、今、超低くて渋い声しか出ません。ごぼごぼって咳が出て肺のあたりが痛みます。喉から胃まで腫れが続いているような嫌な感じもあります。怠いのはどうにかマシになったけど、本調子には程遠い。
ダンナさんの去年の日記の8月19日には、「mako、喉が痛い」と記されていたそうで、「今年もか。弱っちいな」と笑われました。・・・いやいや、去年も今年も、アナタから移ったんだからね?自覚してる?
それに先日はアナタ、ぐったりしてると思ったら額が氷のように冷たくてさ、貧血!?って心配しちゃったじゃん。(照柿の雄一郎も貧血でふらついてたよね。おんなじ症状だったので、貧血だと分かった(笑)。)
そんなわけで、二人で病人と看護人を交互にやってるような状態です。
明日には治したいにゃあ。
とにかく、ドリンク剤飲んで、肉食って、よく寝よう・・・。
皆さまも風邪にはお気をつけてお過ごしくださいませ。



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暑い季節

暑い!
朝の5時から蝉も鳴いてて、もう勘弁してください!って感じ。
ホントなら週末は、阿佐ヶ谷の七夕祭りとか、駅二つ向こうの花火大会とか行ってたと思うんだよ。(阿佐ヶ谷は昔ダンナさんが住んでたので馴染みのある街なの。)
でも、むり。だるい。いつもはそろそろ暑さに慣れてくるころなんだけど、今年はきついなあ。
それに、ダンナさん、喉が痛いって。風邪か~!
そんなわけで、遮光カーテンしめて、エアコンつけて、休養~。
それにしてもさ、昼食後、ダンナさんに「薬飲んだら?」と聞いたら、「眠くなるから、いい」って言ってたのに、いつの間にかリビングですやすやお昼寝。薬飲んでも飲まなくても寝るんじゃん(笑)。どこかの刑事さん同様、腹がくちくなると寝ちゃうんだよね~。まあ、私も一緒にうたた寝しちゃうんだけど(笑)。

スマホアプリで、自分が老人になった時の顔を作成してくれるのがあるんですが、先日、妹さんが見せてくれた甥っ子の写真は面白かった。
甥っ子(兄)は、父親の顔をちょっとワイルドにして渋くしたような感じ。
そして甥っ子(弟)の顔は、じいちゃん(私の父)の一族の顔。特におばちゃんたちの顔を思い起こさせる。
もともと、どっちの系統の顔かはよく話題にしてたんですが、アプリにまではっきり見せつけられちゃうと、あらためて、血ってすげぇな!と感嘆しきり。中身も父親なりじいちゃんなりの良いところを受け継いでくれると良いけれど、さて。


あいちトリエンナーレ2019の「平和の少女像」撤去の件は、いろいろ考えてしまいます。
撤去前には次のような記事もありました。『企画展「表現の不自由展・その後」の展示には「平和の少女像」もあり、制作した韓国の彫刻家、キム・ソギョン氏は「像は反日の象徴ではない。少女の握り締めた手は平和な社会を共につくろうという決心を表している」と強調した。共同制作した夫のウンソン氏は「隣に座り、少女の手に触れて、考えてみてほしい」と語った。』(時事ドットコムニュース)
この企画展に対して、名古屋の河村市長は「どう考えても日本人の、国民の心を踏みにじるもの。いかんと思う」と話し、作品の展示を即刻中止を愛知県知事に求め、自民「護る会」は「公金を投じて行うな」とコメントし、実際、菅義偉官房長官は「把握している。文化庁の補助事業と報告を受けてる。審査時点で具体的な展示内容の記載はなかった。事実関係を精査した上で適切に対応する」と発言。
結局、「テロ予告や脅迫とも取れるような電話やメールが来て、安全な運営が危惧される」として大村知事は企画展中止を発表。
中止することには、いろんな方が批判のコメントを出していて、日本ペンクラブも、『展示は続けられるべき。行政がやるべきは、作品を通じて創作者と鑑賞者が意思を疎通する機会を確保し、公共の場として育てていくことだ。』と声明を出しました。
この一連の流れ、なんだか、企画展のタイトル「表現の不自由展・その後」を、まさにまざまざと見せつけられたような気がします。
結局、お上の意に沿わない作品には補助金なんて出さない、公の場で展示するなど以ての外、そんな作品は守らないということなんでしょうか?脅迫に屈した形で取りやめになったわけですが、ヘイトデモだったら驚くほどたくさんの警官が周りを固めて守るのに、この企画展を警察は守ってくれないの?テロ予告のような脅迫を行う「犯人」を捕まえられないの?オリンピックに同じような脅迫が来たら開催を止めるの?現政権も脅迫する者も基本認識が同じだから許されてるの?表現の自由はお上から与えられるものなの?
もやもやすることばかりです。
(ちなみに、外務省のホームページには次のような記述があります。
『日韓間の慰安婦問題については,これまで,両国局長協議等において,集中的に協議を行ってきた。その結果に基づき,日本政府として,以下を申し述べる。
(1)慰安婦問題は,当時の軍の関与の下に,多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり,かかる観点から,日本政府は責任を痛感している。
 安倍内閣総理大臣は,日本国の内閣総理大臣として改めて,慰安婦として数多の苦痛を経験され,心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し,心からおわびと反省の気持ちを表明する。』
・・・以下略。平成27年、岸田外務大臣の時です。)

表現って何だろう?表現の自由って何だろう?
何かを貶めることだけが目的のものは受け入れ難い。でも、そうじゃなくて、他者に向かって開かれているもの、問いかけるものは、たとえ愉快なものじゃなくても公の場で公開する意味はあるんじゃなかろうか。
中止前ですが、「平和の少女像」は報道陣が撮影することは禁止となり、その理由について担当者は「作者に対する反応や、作品を見たことのない人がこの作品で『心苦しい』と思う可能性がある。そのため、今後露出を少なくしたいという趣旨です」と答えています。
私も心苦しくなると思う。
みんなも多かれ少なかれそうだと思う。
でも、そうであるなら、それは何故なのか、少女像の前で自らに問いかけるべきなのだと思う。何でもいい。同じ女性だからか、国の過ちを認めたくないからか、戦争が人間性を奪う、あるいは逆に露わにするからか、プロパガンダだと思うからか、慰安婦なんて本当はいなかったと思うからか、ではこの少女は誰だ?
そういう心の揺らぎであったり、自分の(あるいは誰かの)価値観を疑うことであったり、きっと何かがあるはずで、それを閉じてしまっていいのか?と思う。そもそも表現とは、そういうものであるはずだ。
肯定であれ否定であれ、場を閉じてしまったら、そこから先、相互理解の機会なんて失われてしまう。
慰安婦に限らず、戦争で日本軍がやってきたことを否定する人たちに対して、いつも思う。
過去の過ち、過去の罪、他国の人々のプライドを踏みつけたこと、殺したこと、傷つけたこと、それらに触れることが、なぜ日本人の心を踏みにじるのか。自虐的だと言うのか。
確かに居心地が悪い。
自分は加担していないのに、いつまで背負わなきゃならないのか、と思ったこともある。
でも、知らないでいることや、それから逃げることは、もっと恥ずかしくてみじめだ。
見たくないから蓋をする。そのことの方が、私のプライドを傷付ける。

さて、日本と韓国はどうなるんだろうね。
積み上げるのは地道な努力が必要だけど、壊すのは一瞬。
そうはならないようにしたい。政権寄りの報道に煽られることなく冷静でいたい。


(追記)
8月6日、広島の平和記念式典の松井市長の言葉は胸に響きました。
今の世界に溢れる不寛容について語り、原爆の悲惨さを語り、また、核兵器禁止条約に参加していない日本政府に対し「被爆者の思いを受け止めてほしい」と、署名・批准を求めました。
なぜ彼の言葉が響くのかといえば、それは「身体から出てきた言葉」だからでしょう。
こういう人が首相だったらなあ・・・。
(現首相の言葉は・・・一応ちゃんと聞いたけど、何も残らないんだよね。今年も。)
なお、原爆資料館は今年リニューアルされ、犠牲になった一人一人の物語が感じられるようになっているとのこと。戦争という大きな物語の中に埋もれさせてしまわぬように、そういう試みは大切だと思う。
そこにいたのは、私たちと同じ人間。
私が行ったのはリニューアル前だったけど、実際、そこに人間がいたんだ、と感じたことでものすごく骨身に沁みた。辛かった。
この夏、妹が甥っ子を広島に連れて行く計画を立てているけど、いいことだと思う。ちゃんと見て来いよ、少年。



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プロフィール

mako

Author:mako
makoと申します。
好きな小説と音楽と日常をあれこれ綴っております。
高村薫先生の合田シリーズについては、腐女子的視点で考察その他を書いてますので、一部PW制にしています。
なお、原作者様、関係者様とは、一切関係はありません。

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